BLとゲイは同じじゃない。ドラマでは描かれにくい「リアルなゲイの日常」とは?
男性同士が出会い、惹かれ合い、恋をする。BLドラマや漫画で描かれるその世界と、現実に生きるゲイ男性の恋愛や日常は、どこまで同じなのでしょうか。
最初に答えを出しておくと、BLは男性同士の恋愛などを題材にしたフィクションであり、現実のゲイを知るための見本ではありません。現実に近い作品もあれば、大胆に理想化された作品もあります。それ自体はフィクションなのだから問題ではありません。
区別したいのは作品と現実です。BLのキャラクターに設定された性格、関係性、性的な役割までを「現実のゲイもこういうものだ」と持ち込むと、実際にいる人ではなく、作品から得たイメージを見ることになります。
スクリーンの中では恋愛が主役。でも、外に出れば人生はもっと長い
BL作品では二人の恋愛が物語の中心になります。出会った瞬間、相手を意識した瞬間、関係が変わった瞬間。恋愛作品なのだから、視聴者が見たい場面へ時間を使うのは当然です。
現実のゲイ男性にとっても恋愛は人生の一部ですが、人生そのものではありません。仕事で一日が終わることもあれば、友達と遊ぶ休日も、一人で何もしない休日もあります。恋人が何年もいない人もいますし、そもそも今は恋愛を必要としていない人もいます。
だから「リアルなゲイの日常」を知ろうとして、男性同士の恋愛ばかりを探すのは入口から少しずれています。性的指向が関係しない時間の方が圧倒的に多く、街ですれ違う男性を見ても、その人がゲイなのかどうかすら普通は分かりません。
この二人は恋人? 写真だけで決めた瞬間、もう思い込みが始まる
ゲイについての固定観念は、「ゲイならこう見えるはず」というところから生まれることがあります。しかし、服装や髪型、話し方、二人の距離感を見ても、性的指向や関係性を断定することはできません。
そこで、次の二つの場面を見てください。あえて答えの出ない写真にします。
BLではキャラクターの視線や距離、仕草にも物語上の意味を持たせることができます。読者や視聴者に「この二人は何かある」と感じてもらうことも演出の一つです。しかし現実には、その演出家はいません。仲のいい友達同士が距離近く歩くこともあれば、長く付き合っている恋人同士が人前ではほとんど触れ合わないこともあります。
それでも恋愛では、「男性同士だから」が現実として出てくる
では、ゲイの恋愛と異性愛の恋愛に違いはないのかというと、そこまで単純でもありません。好きになる感情そのものに特別な仕組みがあるわけではありませんが、男性が男性と恋愛しようとすると、恋愛が始まる前から異性愛とは違う条件に直面することがあります。
例えば職場や学校、趣味の場で男性を好きになっても、その相手が男性を恋愛対象にしているかは分かりません。相手に好かれるかどうか以前に、「自分が恋愛対象になり得るのか」という段階があります。この事情があるからこそ、最初から男性同士の出会いが前提になっているアプリ、SNS、ゲイバー、掲示板、コミュニティなどが出会いの選択肢になります。
こうした事情はBL作品の中でも描かれることがあります。ただ、現実では物語を盛り上げるために用意された障害ではありません。本人が実際の人間関係の中で判断することであり、作品を見終えれば消える設定でもありません。
「どっちが女役?」という見方は、現実には持ち込めない
BLと現実を混同したとき、特に分かりやすく表れるのが「男性同士でも男女のような役割に分かれるはず」という見方です。作品ではキャラクターの性格や体格、関係性にコントラストをつけることがありますが、現実の男性同士のカップルを見て、片方を男性役、もう片方を女性役として理解する必要はありません。
どちらか一人を「女性側」に変換する必要はない。
性的な役割についても同じです。ゲイの世界には「タチ」「ネコ」「リバ」といった言葉がありますが、外見や性格を見ただけで決まるものではありません。体格が大きいからタチ、柔らかい雰囲気だからネコ、といった判定には根拠がありません。
そして「リアルなゲイ像」を一つ作るのも、同じ間違いになる
ここでBLのイメージを捨てて、代わりに「本当のゲイとはこういう人」と覚えればいいわけでもありません。現実のゲイ男性に共通するのは男性が恋愛・性愛の対象になるという部分であって、そこから先の性格や生活まで一つになるわけではないからです。
性的指向が共通していても、仕事、友人、恋愛観、セックス、家族との関係、将来像まで共通するわけではありません。
長く付き合える恋人を探している人もいれば、今はセックスだけを求めている人もいます。恋愛そのものに興味がない時期の人もいますし、ゲイコミュニティとのつながりが強い人も、ゲイの知人がほとんどいない人もいます。だから一人のゲイ男性を見て、「これがリアルなゲイだ」と一般化することもできません。
ここでの答えは「人それぞれだから何とも言えない」という投げ方ではありません。性的指向から分かる情報には明確な限界があるということです。「ゲイ」と分かっただけでは、その男性の性格も性的な役割も恋愛観も分からない。そこから先を知りたければ、属性ではなく本人を見る必要があります。
BLが現実と違っていても、それはBLの欠点ではない
ここまで違いを見てきましたが、だからといってBLに現実のゲイを完全再現することを求める必要はありません。BLはドキュメンタリーではなくフィクションです。現実には起こりにくい出会いも、劇的なすれ違いも、理想化された人物も、作品として成立しているなら楽しむことができます。
男女の恋愛ドラマを見て、そこに登場する男女を「現実の男女全員の見本」とは考えないはずです。BLも同じです。作品には作品としての演出があり、現実には現実の人間関係があります。その境界を消さないことの方が、作品に過剰な責任を負わせるより重要です。
作品の登場人物は作者が作ったキャラクターですが、現実の男性は誰かが用意した設定どおりに生きているわけではありません。この違いさえ外さなければ、フィクションと現実は別々に楽しみ、理解できます。
結局、BLとゲイは何が違う?
BLをきっかけに男性同士の恋愛へ興味を持つことも、好きな作品に夢中になることも、そのままで構いません。ただし「実際のゲイもこうなんだろう」と思ったところでは、一度フィクションから離れる必要があります。
現実のゲイ男性を理解するために必要なのは、別の「正しいゲイ像」を覚えることではありません。ゲイという言葉だけで分かる範囲を超えて、その人のことを勝手に決めないことです。
物語は物語として楽しむ。そして現実では、目の前にいる本人を見る。BLとゲイの違いは、最後にはこのシンプルな線引きに行き着きます。